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消滅する店 [銀通商店街]


クリスマス・歳末セールの季節です。

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銀通商店街の人通り。

名目ばかりの町会長にも、何か振興策がないか、と商店街の方から声が掛かる。
私らが簡単に思いつくようなら、日本中のシャッター通り化はとっくに解消していると思いますが・・

個人的には、やって頂きたいことがひとつ有ります。

カリスマ店員さんの招聘。

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スカウトしたいのは、こちらの皆さんのような方々。
来て頂ける方がおれば、日本中何処へでもお迎えに参ります。

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商品もこのような物が好ましい。

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戦後まもなく、日本の商店街は「露店」「闇市」から始まりました。

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1948年頃、銀座三越の界隈。
手前に並ぶ紅白縞の暖簾は「露店」です。

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日本橋高島屋前の「露店」
焼失を逃れたデパートも建物だけで十分な商品がない。
庶民がそれぞれに手に入るものを持ち寄り、「露店」を開きました。
オープンエア・ショップです。

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渋谷、道玄坂の辺り。こちらも道路の両側は延々「露店」が占有。

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人が集まるようになるにつれ、戦前からあった商店街も体裁を整えて復活します。

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下北沢南通商店街。( 昭和24年)

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原宿が閑静な住宅街だった頃。建物はセントラル・アパート。

学生時代、部活トレでよく代々木まで走らされ、ヘタレの私ら、帰路は原宿から山手線に乗り学校に戻りました。
当時、この辺りの記憶に残る店舗といえば、オリエンタル・バザールとキディ・ランドくらいなもの。これもワシントン・ハイツの米家族がお土産を買うような店で、日本人には余り馴染みが無かった店のような気がします。

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70年代になって、セントラル・アパートの一室が店舗化。表参道の道端で、長髪のお兄さんが物売りを始めます。

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そして、21世紀の活況。
行政の手による "線引き"で、「こちらでどうぞ」と商業区が指定される場合と、
民間の先鋭感覚が、住居区を商業区に塗り替える場合とがありますが、
原宿は後者のケースに、様々なプラス要素が重なった成功例です。

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日本が高度成長期に入ると、それまで買物客動員の先遣を担っていた「露店」は役割を終えます。

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地元と絆の強い「行商」は変わらずに商いを営んでおりましたが、
こちらも、いま商いを営む方が廃業すると、既得権が消滅することになります。

「屋台村」なども同様で、観光客動員の一翼を担い根強い人気があるにも関わらず、こうした理由もあって減少傾向にあります。

仮に私がこれから、路上販売をお役所に願い出るとなると、近頃は色々とややこしい。
営業許可申請 食品衛生責任者の資格証明 道路許可申請書 営業設備の大要・配置図 
保健所・警察署・税務署等を巡礼、場合によっては、香具師の元締めの方にご挨拶等々。
そして何より、近隣の方の同意。
「汚れる。不潔だ。」「公共のスペースを特定の業者に占有させるのはいかがなものか」など
色々な意見がありますから、耳を傾け、対策を講じなくてはなりません。

「大半の買い物がショッピング・モール、WEBの通販で事足りる時代に、何の苦労だ?
いっそ、着ぐるみのユルキャラ、「かりそめ君」を仕立て、これぞ振興策と一件落着を図ろうか・・?」
へたれ町会長は、無い頭であれこれと考える破目になります。

*

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今、広島市の商店街で鰯の「行商」を営む方
人差し指ほどの小鰯を、伝来の"弓削ぎ"ひとつで手際よく捌きます。
( このライブ・パフォーマンスは通販では届けては頂けない)

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広島の皆さんは口を揃えて「七度洗えば鯛より旨い」と仰る。

願わくばカリスマ行商の方に私共の商店街にお出で頂きたい。
ご足労頂けるのであれば、"金の馬車"にてお迎えに参ります。


テキスト・橘  写真資料・久慈

※写真4~10/  米国の鳥類学者Oliver L. Austin氏が撮影した写真コレクション。
( 1946~49年)
[ 引用元] http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/tokyo-mapped

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